【脚本 佐藤五月 監督 宮越 澄】
住民から社会のダニと嫌われる凶悪な男がスーパー強盗に入る
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しかし、その男は住宅街で死んでいる
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橘が、男の死因に疑問を持つ
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目撃者と思われる人間が4人浮上
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さらに、一部始終を知っていると思われると思われる女性も浮上
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目撃者と思われる4人は何かを隠している
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女性の証言通り、実は4人が男を殺した犯人
…と、佐藤脚本らしく、良くも悪くも一本道なストーリー。
映像作品そのものの出来も、正直それほど良くはないのだが、人間の持つ“闇”の部分をクローズアップし、正面から描いている点については、おおいに評価できる。
つまり、正気を失っている時や集団心理が働いているときなどは、人間は誰でも“殺人鬼”になれるということである。
これに関しては、特別な人間などいない。心に“闇”を持たない人間など、この世にひとりもいない。誰でも、この回に出てきた4人の男女のようになる危険性は、持っているのである。
思うに、人間が闇を内包していることは、さして恐いことではない。自分の中の闇を認め、それが体現化しないように、心の平静を保ち、理性を失わず、自分の心を常に客観的に観察する術を持てば良いだけである。
一番恐ろしいのは、どんな人間にも闇がある事、自分の中にも、いつ姿を現すかわからない心の闇があるということに、全く気がつかない、もしくは気づこうともしない奴の、傲慢さと無知なのである。
(2008-7-3)
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