【脚本 阿井文瓶 監督 藤井邦夫】
ユニークなサブタイトルが際立つ回。
もちろん、話の中で実際にコンピューターに演歌を歌えと指示した訳ではないが、内容と照らし合わせてみると、実に情緒的な、良いサブタイトルのように思える。
この時期の『特捜』は、サブタイトルが出た後、脚本と監督がテロップで出る(Gメン75や時代劇系などでは既に多く使われていた方式、太陽にほえろなどはエンディングがないため、常にオープニングで脚本が誰か分かる)。
そこで“脚本 阿井文瓶”の文字を見て、正直期待していなかったのだが、心配のし過ぎだったようだ。
この時期、世間一般に広がってくコンピュータと機械化の波、その波に押し流されていく人々の末路が描かれているこの回。
今、こんな話を作ったら、ありがちな話になってしまうのであろうが、1984年であることを考えれば、先見性のあるテーマであり、そのテーマを、あまり奇をてらわず、分かりやすくドラマにしたところに好感が持てる。
話は、強盗殺人事件の容疑者を、コンピューターに入力された過去のデータから絞り込む桜井と、その絞り出された人物を知っており、桜井のやりかたに疑問を感じる船村の対決という形を軸にすすんで行く。
思えば、1997年の『踊る大捜査線』でも“長年の刑事の経験と勘 VS 最新鋭のプロファイリング”という図式の回があった。この時は結局、犯人探しにおいては、ベテラン刑事の和久さん(いかりや長介)が、プロファイリングに負ける、という話になっている(ただし、この後プロファイリング組がミスを犯す“オチ”がついている)。
しかしここでは、コンピューターが前歴者から弾き出した男と、聞き込みから浮かび上がった男、両方が事件にからんでいた、という“両方正しかった”ということになっている。
コンピューターを使うことが是か否か、コンピューターが全てにおいて人間を幸せにするのか否か、それはなかなか結論の出ない問いであることは、この頃も今も、変わってはいないようである。
この回、『爆破0秒前のコンピューターゲーム』を受けてか、今回もパソコンに詳しく、それをいじる役割を担うのは桜井である。これは桜井に適役であると思う。
また、劇中で桜井の兄である桜井弁護士が出てきたことになっているが、かつて桜井弁護士を演じた岸田森は、このとき既に鬼籍に入っているので、登場はなかった。
さらに蛇足ではあるが、番組も300話台に入り、あまり劇中で聞かれなくなった音楽が何曲か使われているのが印象的に感じた。
特に、錯乱のあまり、おもちゃの拳銃を使って銀行強盗を試み、小銭だけ盗んで逃げようとしたことろを、桜井が捕まえたことに対し、「手柄を立てて気分がいいか」と桜井を取り巻く記者たち、それに船村が激高するシーン。
あの場面で流れていたのは、初期から前半期はよく使われていた、『特捜』を代表する音楽。その頃を思い出させるようなシチュエーションでもあった。
やや桜井や船村など登場人物が饒舌で、説明的なセリフが多いきらいはあるが、テーマ性や、株取引の場立ちが無くなることを“予言”している先見性、さらに映像の歴史的価値などを考えてみても、今後DVD化されても良いような回である。
そういえば、“桜井 VS 船村”というシチュエーションも過去にはあるが、『完全犯罪・ナイフの少女』の頃の桜井と比べると、随分マイルドになったなぁ桜井。まあ、あの頃が過剰にワイルドだっただけだろうけど。